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名古屋高等裁判所 昭和44年(う)485号 判決 1969年11月18日

被告人 榊原邦明

主文

原判決を破棄する。

本件を名古屋簡易裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小久保義昭及び被告人本人各名義の控訴趣意書(同弁護人名義の控訴趣意補充申立を含む。)記載のとおりであるから、ここに、これらを引用する。

各論旨に対する判断をするに先だち、職権をもって原判決書を調査するに、原判決は、罪となるべき事実として、「被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四二年八月二一日午前零時一〇分ごろ、名古屋市南区星崎町字殿海道二四七の一番地先道路を時速約六〇粁で南東に進行中、同所は進路がやや右曲りとなっており、なおその頃は降雨のため舗装路面が湿潤していてハンドルをとられ車両が滑走しやすい状況にあったので、速度を調節してハンドルをとられないよう確実に操作し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と前記速度で進行を続けたので、ハンドルを右にとられブレーキを操作したがおよばず自車を右前方に滑走させ、自車の左側部を道路右端の電柱に衝突させて、自車に同乗中の岩井延安(当時二六歳)に対し、第一、二、三、五腰椎横突起骨折等により全治約一ヶ月を要する傷害を負わしたのである。」との事実を認定判示し、これを業務上過失傷害罪に問擬していることが明らかである。

ところで、業務上過失傷害罪は、業務上必要な注意義務を怠り、そのために人を傷害することによつて成立する罪であるから、これを判示するには、被告人が業務上一定の注意義務を怠つて行なう行為(作為、不作為)、すなわち、過失行為の内容を傷害の結果と対応し、具体的に、かつ因果関係が認められる程度に明らかにしなければ、刑訴法三三五条にいわゆる罪となるべき事実の判示として不十分であるといわなければならない。これを本件についてみるに、原判決は、この点について、前記のとおり、被告人は、前示の注意義務を怠り、漫然と前記速度で進行を続けたので、ハンドルを右にとられ、ブレーキを操作したが及ばず、自車を右前方に滑走させ、自車の右側部を道路右端の電柱に衝突させて、本件傷害事故をひき起した旨判示しているところ、原判文を通読しても、原判決の認定した本件の具体的状況のもとにおいて、被告人が漫然と時速約六〇粁で進行を続けたという原判示の行為だけで、他に何らの原因もないのに、突然ハンドルを右にとられるというような事態が発生することは、経験則上到底首肯し得ないところであるといわざるを得ないし、他に被告人がハンドルを右にとられた原因が被告人の具体的に如何なる過失行為によるものであるかを認めるに足りる何らの記載もないから、結局原判示によっては、如何なる原因によつて被告人がハンドルを右にとられて本件事故をひき起すに至つたのか不明というのほかなく、これでは、業務上過失傷害罪における被告人の過失行為の摘示として、甚だ不備であるといわなければならない。(なお、本件は、自動車運転中の交通事故の事犯であるのに、原判決には、被告人が自動車を運転していた旨の摘示が脱落している。被告人が如何なる種類の自動車を運転していたかを具体的に判示するのでなければ、判決の事実摘示として不十分である。)

以上の次第であるから、原判決には理由不備の違法があるものといわなければならない。(ちなみに、原裁判所が取り調べた証拠によれば、被告人は、普通乗用自動車を運転して、本件事故現場付近にさしかかつた際、原判示のように、漫然と従前の時速約六〇粁で進行を続けたばかりでなく、道路がやや右に曲っているのでハンドルを右に切つたところ、降雨のため路面が湿潤していて車両が滑走し易い状況にあつたため、自車を右前方に滑走させるに至り、あわててハンドルを左に切り返すとともに、ブレーキを操作したが及ばず、自車をして道路上で一、二回転のうえ、その左側部を道路右端の電柱に衝突させて、本件事故をひき起したものであることを明認することができるから、原審としては、すべからく、右認定の被告人の運転行為が、原判決の認定した注意義務を怠つたものとも認められるか否か、及び右運転行為と本件事故の結果との間に因果関係があるかどうかを十分審究し、なお、過失の態様について、訴因の変更を要するか否かも検討し、その必要を認める場合には、検察官をして訴因変更の手続を履践させたうえ、審理、裁判をする必要があつたものというべく、この意味において、原判決には審理不尽の違法がある。)従って、原判決は、各論旨(事実誤認、訴訟手続の法令違反、量刑不当)に対する判断をまつまでもなく、到底破棄を免れない。

よつて、各論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三七八条四号に則り、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条本文に従い、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

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